誰のための”ルール”なのか? を考えれば守るべきことは見えてくる

こんにちは。栗原貴子です。

「きものはルールが大変そうで……」

というお声、よく聞きます。いわゆる「ルール」を完ぺきにクリアしようと思うと「衣替えのルール」「TPOのルール」「季節モチーフのルール」などの細かいルールをクロスマッチさせて考えなくてはなりません。

一方で「こんなルールはもういらないでしょう」と声を上げている方、増えています。

先日、落語家の春風亭一之輔さんも連載中のコラムで「衣替えのルール」について書いておられました。仕事着がきものという方も「めんどうくせえっす」って感じていらっしゃるのね。


今日は「きものをはじめ、あらゆるルールに対する自分のスタンスを決める」ときの私の考え方について書きますね。


私も、きものの衣替えルールは「気候に合ってない」と感じています。


その他の「こういう場面では付け下げよね」的なルールは「守らなくてもOK」派です。理由はこの20年の間に、お洋服はカジュアルダウン化が進んでおります。例えば、ワンピースなどは「足元をスニーカーにすればカジュアルに、パンプスを履けばフォーマルにもOKですよ」という接客をよく、受けるようになりました。


こうした時流ですので、「礼装が必須」という席でない限り、きものも「帯でフォーマル感じを表現」みたいなスニーカーとパンプスみたいな使い分けができればいいんじゃないかな、と思うからです。

元号も改まったことだし「守るべきことだけ守って、後は自由に」そんな風に考えております。


では「守るべきことって何?」を判断するために必要な視点は何か?


それは、きものに限らず世間にはびこるあらゆるルールに共通していえるのだけど「それって誰のためのルールなの?」という視点。


例えば、交通ルールや法律は「自分や他人の心身の安全、命を守るため」のものであり、「社会の秩序を守る」という役割を担っています。社会の一員としては、守るべきものです。


スポーツのルールは「そのスポーツのプレイを安全に遂行し、楽しむためのお約束ごと」ですから、これも守るべきものです。サッカーはゴールキーパー以外、手を使っちゃダメですけど、みんなが手を使ってOKになったらたぶん、観ている方もプレイしている方もつまんないと思う。


最近では「職場でのパンプス強要をやめてくださーい」という運動が起きています。「パンプス着用がルールとして決められている職場」、ありますね。「女子は黒の飾りなしの5㎝ヒールのパンプスを着用」とか。


これが問題になるのは「心身の安全を守るためのルールじゃない」上に「誰のためのルールなのか納得できる理由がない」からなのだと思うのです。


一見、そうとは思えないけれど「じつは、みんなの心身の安全を守るためのルール」の例として国際儀礼(プロトコール)のテーブルマナー「両手はいつもテーブルの上に出しておくルール」があります。


その理由は2つ。

①テーブルクロスの下で、隣のご婦人の太ももを撫でるといった不埒な行為を私はしていませんよ、を示すため。

②テーブルクロスの下で、ひそかに銃を握って、銃口を誰かに向けたりしていませんよ、を示すため。


ヨーロッパの王侯貴族のマナーがルーツという解説を聞けば「その時代のことはよく存じませんが、必要なルールね」と思えます。

セクハラも暗殺も防げる。

その場にいる、みんなの心身の安全を守るルールとして考案されていますよね。


時を経るにつれ世の中には、さまざまな「ルール」が誕生しました。件の「女子のパンプス着用ルール」もそうです。


ルールや規則、規範って「黙って守っていれば穏便に済ませることができる」という性質もあるので、日本人の民族性にマッチするのでしょう。きもののルールもまさに、そんな感じです。


きものルールで言えば「こういうシーンでは付け下げを」「こういう場面では小紋を」といったもう、見分けがつかないよ!レベルの細かいルールを設けることで「一人の人が所有しなければならないアイテム数を増やす」という目的を果たすこともできました。これ、誰のため? かというと。売り手の側の都合指数のほうが、消費者の都合指数よりも高いとしか思えない。


近年の「春や秋にも真夏日」みたいな気象状況の中、きものを日常的に着る人たちから「衣替えルールへの異議」が唱えられるようになりました。だって、自分の命に関わるものね。


するとほかのルールにも疑問を抱くようになります。


例えば、きものと帯のコーディネートにおける「織×染の法則」(こんなのもあるんですよ。ご参考まで)が人の心身の安全を守るどころか、「その組み合わせは変よ」と見知らぬオバサマから言われた日には心が折れますから! と逆に不健康じゃないですか? そいういうオバサンって『じゃあ言わせてもらうけど、その服とバッグ、合ってないよ』ってタイプなんです(私の経験ですが)。余計なお世話様ですね、お互いに! って感じですわよ。ほんとにもう。


とはいえ。


かくいう私も謎のきものルールを順守しようとしていた時期が短いながらもありました。若かったので「その組み合わせは変よ」といきなり知らないオバサンに怒られるのが怖かったのもあります。ルールを守っていさえいればリスク回避ができるんですもの。


でも、きもののルールのほとんどが「守らなくても人の心身を脅かすことはないわ」と胸を張って主張できる「自分の軸」を持てた今、「好きに着ればいいわ~~~」と堂々と言えます。


では、「ルールを守るべきシーン」は何か?


きものもそうですが、日本の文化って「相手のため」という美しい考え方も多々あります。


例えば、礼装の決まり事。訪問着や振袖、紋付き羽織はかま、吉兆柄などには「その行事の主役の方へのお祝いの気持ち」や「来賓の方への敬意」が込められております。そういう場面ではルールにのっとっていきたい。


身近な場面ですと、結婚披露宴に列席するときです。いわゆる冠婚葬祭にはしっかりと守っていきたいところ(とはいえ、招待状に「平服で」とある場合は、自分で考えたお祝いの装いでOKです)。

でも、これは私の考え方。

誰かに強要することもできないし、するつもりもありません。


こんな風に「自分の考え方」を自分で決めること。

つまり「自分の軸をブレずに保つこと」。

それが、きものに限らず世の中にあふれる「誰のためのルールなのか、いまいちはっきりしないルール」への向き合い方なのではないか、と思います。


着付けパーソナルレッスンではメインは着付けの習得になりますが、このような謎多き、複雑な「きものルール」について「自分の軸」を定めるときに役立つ知識も可能な限りお伝えしていきます。

お待ちしておりますね~!!!!よろしくお願いいたします!


きもの伝道師 貴楽 Kiraku/栗原貴子

箪笥で眠っているきものを目覚めさせることは、地球の未来を守る一歩になる。 そんな風に思っています。 従来よりもカンタン、涼しい、ラクチンな着付け方法を開発。 着付けパーソナルレッスンも承っております。