こんにちは。栗原貴子です。
日本には全国津々浦々の特産物があり、きものにも地域ごとに特色のある織物、染め物があります。
「青梅縞(おうめじま)」もそのひとつ、です。
現在の東京都青梅市では、農家の女性たちが農閑期の収入源として「青梅縞」を織っていました。
その、すっきりとした粋な藍の色と、品質の良さから「青梅縞」は江戸の町で大人気に。
青梅縞を粋に着こなした江戸っ子を見た、そのほかの土地からやってきた人たちが土産に持ち帰ったことで、全国区で人気を博していたそうです。
青梅市郷土博物館に所蔵されている約200年前に織られた「青梅縞」
ぱっと見た感じは無地ですが、よーく見ると細かい縞模様です。
ヒット商品に「偽ブランド」が出現するのは、いつの時代も変わらぬようで明治になるころに「青梅縞」にも偽物が出現。しかも、かなり粗悪品だったようで「青梅縞だと思って買ったのに~」という人々が続出したのでしょう。
「青梅縞」人気は偽物出現によって、あっという間に衰退。
それとともに「青梅縞」も生産されなくなったのだそうです。
織りかけの「青梅縞」が残ったままの、当時のいざり機。
こちらも青梅市郷土博物館所蔵品です。
このエピソードを取材で訪れた、青梅市郷土博物館の館長さんからお聞きしたとき。
「農家の女性の副業が、全国区レベルの人気を博すまでの高品質だった」
ということにグッときました。
偽ブランドの登場によって幕を下ろすことになってしまったのは大変、残念なことなのですが。
「青梅縞」を復興した「青梅嶋」を製造販売されている会社さんがあると聞き、とても嬉しく思いました。
農家の女性たちの副業だったので、今、博物館にある反物も作者不詳です。
この反物も、青梅の旧家に保存されていたものだったそうです。
「青梅縞」の反物を撮影したので、特別に白手袋、マスク着用で持たせていただいたのですが、ふわっと柔らかく、見た目よりもはるかに軽く『青梅縞のきものは、さぞ着心地がよかったのだろうな~』と妄想したのでした。
思いがけず、このようなきものの歴史やエピソードと出会って、知れば知るほど。
きものは、日本人の暮らしに当たり前にあったもので。
きものが「当たり前」でなくなってからのほうが、歴史が短いのだ、ということを思い知らされます。
わずか50年ほどの間に「当たり前のモノ」ではなくなったのですね。
最近「栗原さん、自分できものを着られるって、絶滅危惧種ですよ」と言われました。
トキやパンダに「うちら、絶滅危惧種なんで!」という自覚があるのかどうかわかりませんが、私はうっすらと絶滅を危惧しておりました。
この「失われた50年」をそのままにしていたら、次の50年で「普段着としてきものを着る人」は本当に絶滅してしまう、と思うから。
作り手の方たち、売り手の方たちもそれぞれに「絶滅を危惧」していらっしゃいます。
私は、愛好家のひとりとして。
「着ることの喜び」を堪能してきたひとりとして。
この「喜び」を未来へとつなげていきたい、と思うのです。
着ることの喜びを堪能したい! という方、お待ちしております!
浴衣から覚えるパーソナルレッスンの詳細はコチラ読んでくださってありがとうございました。
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