好きでやってきたこと、とくに仕事としてやってきたことに。
行き詰まりを感じたり。
「つらい」と感じたりして。
そこから先、踏み出せなくなっちゃうことって
誰にでも起こり得ると思うんです。
一生懸命、やってきたことほど。
傷ついたときのダメージが
大きいのが世の理です。
私の場合、
「きものって心と身体が整うわぁ!」
ということに気づいたのは、
自分で着るようになった頃。
かれこれ20年近く前のことでした。
それ以前は、浴衣は着られるけれど
きものの着付けは呉服屋さんでお願いしていました。
私が、着付けを習うことへの
行動が遅かった理由は
「着付け教室に3年通っても
自分で着られない」という愚痴をこぼす
お友達がいたり。
着付けの先生になる勉強をしていた
知人が「お金ばかりかかって大変だから」と
着付け教室入門を「やめたほうがいい」と
助言してくれた、というのがありました。
当時の、きもの業界のマーケティング戦略で
とられていた方向性が
バブル崩壊後、消費者にとって
「厳しく感じるようになってきていた」のだと
今では分かるのだけど。
当時は、まったく気づきませんでした。
のちに、自分できものを着られるようになって。
「きものを着て文章を書けるならば」
ということで、
きもの業界とはまったく関係のないところから
声をかけていただき
「きものコラムニスト」の肩書を
持つようになって。
そんなに難しいモノでも
「敷居が高いわ」ってモノでもないので
気軽に楽しみましょう!
というようなメッセージを
発し続けていました。
ところが。
当時のきもの業界の多くの方々に
私のメッセージは「異端」に映ったのでしょう。
「革命を起こすわよ!」ぐらいの意気込みで
発信していたらよかったのだろうけれど。
私には「革命家になっている」という
自覚がまったくありませんでした。
今の私はマーケティングにも詳しくなり、
きものが戦後、
高級なある種の
ステイタスアイテム
といった方向性だったおかげで、
2019年の今まで
先細りしながらも
継承されてきたのだと理解しています。
日本の未来に
「きものを継承する」ためには
必要なことだったんだな、って。
日本の戦後から、高度経済成長期、
バブル崩壊といった流れの中で
いろいろな業種・業界で
似たような「流れ」が起きています。
今、その余波を受けながらも。
あらゆるジャンルの出来事が
「人の心に寄り添った」形での
ビジネスモデルへと
進化するときなのだな、と
思うのです。
けれど、そういう風に考えられなかった頃の私は
傷ついたり
嫌な思いをする度に。
「どうしてこんな目に遭うの」( ;∀;)
と被害者モードになっておりました。
でも、今は
うまくいかなった過去。
つらい思いをした過去も。
「必要な経験だったのかな」という視点で
振り返ると
「そういうこと⁉」って発見があって。
そこ、すっ飛ばしていたら
私、どえらい勘違いオンナになってたわ。
みたいな「納得感」があるんです。
もしも、私が嫌な思いもせずに
きものコラムニストとして
活動してきたならば。
「やらなかっただろうな」
って学びもたくさんある。
「もっと着付けを上達せねば」
「もっと知識を身につけなければ」
そんなモードになるために、
私には「ギャフン」体験が
必要だったんだな、って。
落ち込みの真っただ中にいるときは
とてもじゃないけれど、
そんな風には思えないのも
分かっているのだけど。
でも、いつか。
そう思える日が来た時に。
心にかかっていた
雲がすうっと晴れるのは
間違いないので。
とりあえず、今日のところは
「一生懸命、頑張った
過去の自分」を
よしよしヾ(・ω・`)
してあげたらいいんだと思います。
私にとって「きもの」は
その存在が「軸」となっていました。
くじけそうなときも
心が弱っているときも。
その時々に、近くにいてくれた
「誰か」の言葉に
たくさん、たくさん救われました。
空腹のときに食べた
1個の塩むすびが、
心に残るごちそうとなるように。
弱っているときに差し伸べられた手や
かけてもらった言葉の数々も。
心に残る宝物です。
空腹でなければ、
弱っていなければ、
その「ありがたみ」にも
気づけなかったと思う。
どんな眼差しで「出来事」を見るか。
それによって
受け取り方はプラスにも
マイナスにも作用するんだなって
私自身の経験を振り返って
そんな風に思います。
軸となるものが
「きもの」じゃなくてもいいけど。
「きもの」は身体的な軸も
鍛える作用があるので。
とてもおススメでございます。
この日、地上は「曇」でしたが
雲の上はいつだって
太陽が出ていて「晴れ」なのよね。
人の心と同じだね♪
今日も読んでくださってありがとうございました。
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