こんにちは!今日も読んでくださってありがとうございます!
画像を鉛筆スケッチにするアプリを試してみました! 今の時代、こんなことができるのね~。
世代を問わず、私たちオンナは大なり小なり「不遇感」を内に秘めています。
アラサー、アラフォー、アラフィフと世代を表現するようになり。
最近では氷河期世代、超氷河期世代という表現もよく見かけるようになりました。
ヤフコメとか匿名性の高いところで「普段は口に出せないホンネ」を綴っている人が多いですが、どの世代もそれぞれに「不遇感」を覚えています。
景気に左右されて就職が困難だった。
新卒での就職活動の結果がその後の人生にも影響を及ぼす。
という前提がありつつ。
「女性の不遇感」に特化すると。
就職活動で「女性」という理由だけで面接の機会を得られなかったことや、面接に進んでもセクハラ、パワハラを受けた。就職してからもセクハラ、パワハラを受けた等々の「体験」が際立ちます。
やっぱ、そこなんだよね。
と思いました。
私は92年に短大を卒業・就職だったこともあり、氷河期の辛酸を舐めた経験はありませんが。同級生で浪人・留年なく四年制大学に進んだ友人は氷河期一期生。
ただでさえ狭き門、女というだけで履歴書も見てもらえないという時代の幕開けでした。
氷河期一期生のつらかったところは「昨年までは売り手市場だった」のが「事前のお知らせもなく、突然、買い手市場になった」ということ。
86年の雇用機会均等法の施行により「男女平等ですよ」という建前になったものの。
経済が厳しい状況になった途端、社会にも企業にも「男女平等プレイ」をしている余裕もなく。
「やっぱり男女は不平等であった」ことが明るみになりました。
私も社会に出て、フリーランス21年もやってきて「やっぱり男女は不平等」だと痛感してきました。
そうした経験からの結論としては。
「男女は不平等である」ということと戦っても「意味はない」ということ。
世代的な不遇感も然り、ですけどね。
ついでにいうなら、正社員、非正規雇用という雇用形態における不遇感もね。
それらの不遇感が解消されるのを指をくわえて待っていても、
いつになるか分かりませんよ?
というモノなのだと思うのです。
私たち女性が内に秘めている「不遇感」は「被害者意識」につながっています。
セクハラ、パワハラ、モラハラ。
仕事における各種ハラスメント経験を受けてきて、私も「被害者意識」を募らせておりました。
でもね。
被害者意識って加害者側が自分を「加害者である」と認識しているときはいいけれども(「私がやりました」ってね)。
無意識・無自覚のうちに行っている場合。
「被害者意識を持つだけ、ムダ」
なのですよね。「ムダ」を通り越して、余計に傷を深める結果になるだけなのです。
とはいえ。
被害者意識を持ってしまうのも分かるんです。
理不尽だし。
不快感すごいし。
A氏、B氏、C氏からそれぞれ別々にセクハラされたとして。彼らにとって1回ずつの体験でも、受ける側としては3回になるのですものね。
パワハラにしてもそうです。
1人100円程度の万引きで、お店潰れるのと同じように。
ジワジワと蝕まれていく。
自分に落ち度があったのではないか?
女性はそう考えがちでもあり。
ハラスメントをする人というのは「そうさせる、お前が悪い」という論法を使う傾向が圧倒的に高いので。
(「あなたが魅力的だから自分がこんな気持ちになってしまった」と真顔で言ったりしてね。しらねーよ、って話なんです。魅力的だったらセクハラしていいのか? って話なんですが、これが通じない相手とはどれだけ議論してもムダです)
今日、私が何を言いたかったのかというと。
不遇に思うことが、解消されるのを待つのではなく。
解消されないことに、ますます不遇感を強めるのではなく。
被害者意識を持ち続けることがいかにバカげているかに気づいて。
今までのことで傷ついた心を癒すことが、いちばんですよ、
ということを言いたかったのです。
傷を癒して。
気力を充実させて。
前を向いて立ち上がること。
それがね、いちばんの解決策です。
被害者意識を持ち続けている限り、シアワセを感じることはできないから。
今日も読んでくださってありがとうございました。
みなさまの毎日にププッと笑顔があふれますように♪
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