継承した、もしくはこれからするであろう、きものが収納された「開かずの箪笥」のことが気になっているーーー。
そんなお声の数々を聞くたびに「あなたが、お召しになるのがいちばんよ」と言っても。
「うーん」と複雑な表情をする方がほとんどです。
そして、その複雑な表情は「着付けができない」という物理的な問題ではなくて「感情的」「心情的」なものなのですよね。
「心情的に素直に『きものを着るわ』と言えない」もしくは「誰も着ないし、私も着る気がないから処分したいと、すっぱりと言えない」のは、ほとんどが親子の間で世代を超えて連綿と続く「何か」が原因です。
ご機嫌できものを着ている私ですけれど「親子関係の問題と無縁」というわけではありませんでした。
「きものが好き!!!!」の想いが強くて、自発的にローンを組んできものを購入したのが成人直後。次第に、きもの愛が深まる中で「親子関係の問題の存在」を自覚。紆余曲折を経て今に至ります。
「親子関係に問題がある(あった)」という人は珍しくもなんともなくて、カミングアウトすると「類友」がけっこうみつかるんだけれども。
カミングアウトするまでが、ツラい。
カミングアウトした後も、自分の心に向き合わずに放置していると、これまたツラい。
なぜなら、自分の心に向き合っていないというのは、本当はいちばん大切にしなくちゃならない「自分」を後回しにしている、ということだから。
そして「開かずの箪笥のことが気がかり」という状態になるのは、厳しい言い方ですけれど「親子関係が屈折していた」からです。
屈折していない場合、ちゃんと継承がされるものだから。
(もしくは、処分についての申し送りや段取りがされているから)
祖母が愛用していた大島紬。こうして私が着ている写真からは「ちゃんと継承されていた」ように見えますが、そうではありません。「この大島の柄、素敵」という、物質的な価値と「誰かが愛用した大島は柔らかくなって着やすい」ということに愛着を感じております。
ここに「心情的な愛着」があったら、それは素敵だなって思います。
でも、残念ながらそうではないわけで。無理やり心情的な愛着をくっつけようとすればするほど自分の心は疲弊してしまう。だから、ただ「きものが好き」という自分の想いだけで私は「頂着物(いただきもの)」を着ています。
そして「自分で着られるようになる」というのは、親から子へと連綿と続いた「屈折した何か」を解放する手段として、とても有効です。
なぜなら、「屈折した何か」を抱えている人はかつて、私もそうであったように。
自分に自信が持てないからです。
自分で着ものが着られる、というプロセスは「自分への自信の回復」になります。
と、同時に「開かずの箪笥」を開けて、きものを広げていく中で「抱えてきた本当の気持ち」を見つけることができるから。
それは「もっと私をかまって欲しかった」という思いだったり。
「なぜ、こんなにきものを持ち、着ていたのに私には着せたり、教えてくれなかったのだろう?」という思いだったり。
「お金がない、と言いながらどうしてこんなに着物があるのよ!!!」という思いだったり。
人それぞれ、さまざまです。
「私はきものは着ないから」と手放したり、処分するという決断をする前に。「自分で着る可能性」を模索してから処分を決断するのと。模索せずに手放すのとでは、その後のご自分の人生が変わります。
私はずっと「きものを着られたら素敵よ」ということだけ、お伝えしていきたいと思っていたのだけれども。この時代の変わり目に、立て続けに「きものと一緒に連綿と継承してしまった何か」の話を立て続けに聞いて。
そして「そういうことか」と一人、納得しているのです。今、私が語るべきはただ「きものを着たら楽しいよ」ではないんだなと。
「開かずの箪笥」の中にあるストーリーを紐解きながら。
ずっと抱えてきてしまった「屈折した何か」と向き合いながら。
自信を持つためのお手伝いをすること。
それが、私の使命なのだと「観念」しました。
「観念」したら、どっとくたびれてしまいました 笑
そして、日付をまたぎ平成から令和へとなっておりました。
とりとめのない内容になりましたが、今日の結論は「開かずの箪笥のことが、頭の片隅にある」という状態は「向き合うべき本音があるよ」というサインですよ、ということでした。
今日も読んでくださって、ありがとうございました。
新時代もよろしくお願いいたします。
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