「はれのひ」事件をマーケティングの視点で語るならば「愛情」と「女ごころ」の要素も需要なファクターなのです。

こんにちは。きものナビゲーターの栗原貴子です。


「はれのひ」の事件から4日。被害の内容が明るみになってきて、「祖母や母の振袖を預けたけれどそれも行方不明」という方もいらして。本当にやるせない思いでいっぱいです。


FBのお友達から、お嬢さんやご本人の成人式のことのコメントをいただきました。「祖母の振袖を娘が着ました」という方の親子4世代にわたって受け継がれた振袖。「孫娘たちのために1人1枚ずつ、祖母が手縫いしてくれた」という祖母様の愛情と思い出がつまった振袖。


私がこの件に憤るのは、こうした振袖への「想い」の部分を、踏みにじられたことが大きいのだなあ、と皆様のコメントを拝見しながら感じました。


一方で、そのビジネスモデルについての指摘の声もあり、それについても私は「その通り」と思っております。

わりと長めの記事ですが、ダイヤモンドオンライン のノンフィクションライター 窪田順生氏がまとめていらっしゃいます。

「はれのひ」事件は起こるべくして起きた、着物ビジネスの闇

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180111-00155406-diamond-bus_all


この記事を拝読して、ひとつだけ覚えた違和感は「消費者の想いの部分についてもう少し、掘り下げて欲しかったわ」というものでした。


窪田氏が指摘されている、葬儀や成人の日といった「セレモニービジネス」は「一生に一度」であり「初めて」であることが多いために「普通はそれくらいしますよ」で納得してしまう。ただ、それだけがすべての理由ではない、と私は思うのです。


ご葬儀について私は門外漢だけれども、昨年、伯母の葬儀で「もう、してあげられることがないから」と遺族は立派な葬儀を望みました。そういう「想い」を悪用するのが「悪徳業者」なのだと私は思うのです。


「はれのひ」が犯した最大の罪は、振袖への晴れ着への「女ごころ」を踏みにじったこと。

娘の晴れ姿を楽しみにしていたご両親や祖母祖父、家族みんなの「愛情」や「想い」を踏みにじったこと。


成人の日に晴れ着をまとうことにテレビ番組で「振袖など着なければいい」というコメントをされたコメンテーターがいたようですが。


振袖に込められた「想い」をそんな風に言ってほしくないんです。

お金だけの問題ではないのです。


若い娘さんにあでやかなきものを着せてあげるような、そんな文化が戦前までありました。「大正浪漫」と呼ばれるきものが、現代の感覚では「けっこう派手」ということをご存知の方も多いことでしょう。娘時代にしか着られない(というか似合わない)装いを大切な娘にさせてあげたい。それが親心であったのでしょう。


戦争がはじまり、戦況が厳しくなると女性たちは、モンペを履くようになります。きものではいざというとき、危ない。袖の長い着物は火が燃え移るリスクが高いため「筒袖」になります。モンペは普段着用のきものを仕立て直してつくりました。派手であると悪目立ちしてしまうこと。晴れ着の生地はモンペには適さないために、丈夫な生地の地味な色のきものを「つぶした」わけです。それらのきものもまた、「大切なもの」であった可能性は否定できません。


終戦後、女性たちにとってきものは復興の象徴でした。戦火できものを失った悲しみ。気に入っていたきものを「つぶした」ときの悲しみを乗り越えて。また、あでやかなきものを着られるという歓びを感じていたのではないでしょうか。


戦争中につらい思いをした娘に、晴れ着を仕立ててあげたい。そんな想いもあったのだと聞きます。戦争を体験した世代の祖母たちが孫娘に振袖を贈る、ひと針ひと針に思いを込めて振袖を仕立てたのは、そうした想いがあったからなのだと思うのです。


現代を生きる女性たちが、新成人の女性たちが「振袖を着たい」と思うのは、こうした想いが本能的に受け継がれているからなのではないか、と私は考えています。


「セレモニービジネス」は「愛情ビジネス」でもあるのです。


葬儀、結婚式、成人式といったものはもちろん。


窪田氏も記事中で触れている、バレンタインデーやクリスマスも、いわば「愛情ビジネス」。日本においてバレンタインデーが「好きな人に女性から告白する日」として、クリスマスが「恋人と過ごす日」として盛況したことからみても「愛情ビジネス」といってもよいマーケティングです。


「愛情」をベースにしたものが盛況しやすく、そこに女性がグッときやすいのは事実でしょう。そしてマーケティングを分析するなばら、その部分も加味しなければなりません。


日本人がなぜ、グッときやすいのか。それは、「普段からあまり愛を口にしない」からではないでしょうか。だからといって愛情がないわけではなく、儀式的に想いを表現するという方法のほうが馴染みやすいという、それこそ伝統的な背景があるのだと、私は思います。


長く長くなりましたが。

今日も読んでくださってありがとうございました。


「はれのひ」事件を教訓として、きものの未来にプラスになることを切に願っております。

女流伝統工芸士 上田珠江さんの作品です。

まだ見ぬ、着る人のことを想って描かれた手描きのお品です。

作り手の想いも含めて日本の「伝統」であり「芸術」であり「文化」なのだと、私は思うのです。

きもの伝道師 貴楽 Kiraku/栗原貴子

箪笥で眠っているきものを目覚めさせることは、地球の未来を守る一歩になる。 そんな風に思っています。 従来よりもカンタン、涼しい、ラクチンな着付け方法を開発。 着付けパーソナルレッスンも承っております。